菊田大使によるアンザック・デー追悼式典におけるスピーチ

令和8年4月24日
※本稿は英語で行われたスピーチの仮訳です。


ブルネイ・ダルサラーム国防大臣(第2大臣)ペヒン・ダトゥ・ライララジャ・ダト・パドゥカ・セリ・アワン・ハルビ閣下、
オーストラリア高等弁務官マイケル・ホイ閣下、
閣下各位、
ご列席の皆様、
 
おはようございます。 私は、本日もまた厳粛な気持ちでここに立っております。 昨年、この式典に出席させていただく栄誉にあずかり、私の参加をお認め頂いたオーストラリア高等弁務官とブルネイ・ダルサラーム政府の和解と寛容の精神に対し、心からの感謝を申し上げました。そして、オーストラリア人捕虜を含め敵味方を問わず戦場あるいはジャングルで命を落としたすべての兵士たちへの敬意、筆舌に尽くしがたい苦しみに耐えることを余儀なくされた地元住民の方々への深い悔恨の意、戦没者の遺族である私自身と家族の気持ちを込めて、花を捧げました。
 
式典後しばらくして、オーストラリア高等弁務官からラブアン島にあるSurrender Point(日本軍降伏の署名地)についてお話を伺いました。日本が降伏したのは1945年8月15日ですが、太平洋諸島に派兵された多くの日本軍は、本国司令部から戦争終結を知らされず現地で連合軍と対峙し続けました。そしてラブアンの日本軍は1945年9月10日月曜日、遂にオーストラリア軍に降伏し、ボルネオ島における第二次世界大戦は終結を告げたのです。
 
そこで、昨年末、私は個人的にその地を訪れました。島の東側、現在の空港近くには連合軍戦没者墓地がありました。墓地内にはインド軍部隊の慰霊碑も設置されていました。墓地は花々で美しく飾られており、毎年追悼式典が行われているとのことでした。また、マレーシア最大の連合軍戦没者墓地はラブアン島にある正にこの墓地であることも知りました。
 
島の西側、かつて日本軍が軍用飛行場を建設した場所の近くには、「タマン・ダマイ」と呼ばれる平和公園があり、石造りの平和塔が建っていました。本日この機会に、そこに掲示されていた碑文を御紹介させて頂きます。
「この慰霊碑は、1976年9月、日南太平洋友好協会によって建立されました。この島で戦い、命を落としたすべての兵士、そして不慮の死を遂げたすべての民間人の記憶を後世に伝えるために。この慰霊碑が、任務に対する人々の献身を永く伝える記念碑となり、また、この島が二度とこのような苦しみと悲惨さを目の当たりにすることがないよう切に願うこの島に生きるひとりひとりすべての男、女、そして子どもの熱い気持ちを象徴するものとなりますように。」
そして、平和塔には「PEACE IS THE BEST(平和こそ最善)」という言葉が刻まれていました。
 
私はかつて、ハーグにある在オランダ日本国大使館で次席として勤務していました。自宅のすぐ近くには、第二次世界大戦中に日本軍によるインドネシア占領の犠牲となった人々を追悼するインディッシュ記念碑がありました。毎年8月15日、日本の無条件降伏の日に、そこで国家追悼式典が行われます。しかし、日本は唯一、この式典に招待されません。翌朝、たった一人のオランダ人職員に見守られながら、私一人だけでそこに花を捧げるのが慣例でした。私は、いつか日本も15日に招待され、他の国々と共に花を捧げられる日が来ることを願ったのを覚えています。しかし、その状況は今日まで変わっていません。
 
ご列席の皆様、
国際情勢は近年ますます分断と不安定化が顕著になり、無辜の人々が武力行使の犠牲となる事例も増加しています。今私たちに必要なのは、憎悪の激化ではなく、相互理解を深め、異なる価値観を尊重しつつ共存するための努力を続けることだと確信しています。
本日この式典に再び招かれ、スピーチの機会を頂きましたことは、まさに「平和の郷」ブルネイ・ダルサラームの精神を体現するものです。ムアラ海岸のブルネイ・オーストラリア記念碑の前に立ち、ラブアン島の記念碑に刻まれた言葉を改めて申し上げたいと思います。
 PEACE IS THE BEST.
 ご清聴ありがとうございました。